第77話:残照

白い光の中。
姿形などまるで見せず。
それはあまりに微かな気配。
空気と紛う、希薄な存在。
でも、確かに…。
何かがいます。
ちりちりと、耳の奥で小さな音。
いえ、それは声。
「案内しますよ」
そう聞こえました。
『語る街』かとも思いましたが、そうではありません。
『語る街』は深く、強く、朗々とした声で語りかけてくる。
でも、今聞こえているこれは、あまりにか細い。
まるで、弾ける火花の音。
「あの人の夢に行きたいのでしょう?」
更に続く声。
『あの人』という言葉が、ガルガンチュアを指すものだということを私は理解していました。
気配が少し遠ざかります。
「おいでなさい」
プリズマも、私も。動きませんでした。
先程の屋敷のように。この真っ白な世界も、迷路のように私達を閉じ込めるものかもしれません。
この見知らぬ声に従っていいのかどうか、それもわかりません。
「ふたつ、質問するよ」
頭をふらりふらりとさせながら、プリズマが言いました。
「ひとつ。君は何者なのか。
 ふたつ。『闇の王』を知っているのか」
少しの沈黙。
それから、声が緩やかに応じました。
「ひとつめの質問。答えるのはとても難しいですね」
「なぜ?」
短く問う、プリズマの声。
「私が何者なのか。自分でも、はっきりとはわからないからです」
少し困ったような気配。
「と言うのも、ここにいる私は私ではないからです。
 私…ええ、私は自分の名前もよくわからないのですが、
 『私そのもの』は既に私としては存在しておらず、
 今ここにいる私はただの欠片。拭き残した窓の汚れのようなものだと考えられるのです」
よくわかりません。
私は首を傾げてプリズマを見ました。
彼も困惑しています。
少し待って、声が続けました。
「ふたつめの質問にも同様に、確たる答えは返せません。
 姿すら思い出すことはできないのですが、
 おそらく私はあの人のことを知っています。
 なぜなら、『私そのもの』、つまり私の肉体や命は、
 あの人に奪われてしまったのではないかと思うからです。
 ですから、私はあの人のことを知らない一方で確かに知っているとも言えるのです。
 しかし、私は自分が何者であるのか、『どの時点での私』であるのか、
 それを軽々に判断することができません。
 あの人が奪い損ねた、あるいは奪わなかった、取るに足らない断片が私なのか。
 それとも、『私そのもの』が予め砕いておいた、意図的な分身なのか。
 そして、ほんの数分前。あなた達に出会うまで。
 私は自分がどこに存在していたのかもわからないのです」
そこで言葉を切り、声は再び沈黙しました。
姿形のない気配。ですが、私はその人が私を見つめているのを感じました。
もう一度、声が耳の奥で囁きました。
「うまく説明できないのですが…。
 あなたの顔を見た時、ピンと来たのです。
 あなたとガルガンチュアを会わせなければいけない、と。
 それが、私の存在する理由なのではないか、と」
今度こそ完全に言葉を断ち、声は黙ってしまいました。
気配が私達の応えを待っています。
「どうする?」
プリズマがのんびりと訊きました。
「付いて行こう」
私はあっさりと、そう言っていました。
不思議な衝動が、私を突き動かしていました。
声の言っていることを理解できたわけではありません。
でも。
この声は、私をガルガンチュアの元へ連れて行く。
そう定められている。
私には不思議とそれがわかったのです。
ふうっ、と。気配が遠ざかりました。
私はそれを追って歩き出し、後にプリズマが続きました。
少し先を進んでいく気配。
何も見えないけれど、確かにそこを歩いています。

それから私達は、かなり長い時間を歩きました。
辺りが光に包まれているため、距離感はわかりません。
あれ以来、気配は一言も発さず、私もプリズマも黙々と歩き続けています。
周囲の光景に変化がないので、同じ場所で足踏みをしているようにも思えました。
更に長い時間が続き、私が痺れを切らし始めた頃。
ぴたり。
突然、気配が歩みを止めました。
「着きました」
やけに沈んだ調子で、声はそう言いました。
ごとん。
巨大な閂が除けられる音。
がちゃり、がちゃり。
次々に外される、錠前の音。
そして。
ぎ。  ぎ。 ぎ。ぎ。ぎ。ぎぎぎぎぎぃぃぃ……。
雄大な軋み声。
開いていく、扉の気配。
「ここでお別れです」
声は小さく、微かなものに変わっていました。
弾ける火花の音から、崩れる砂の音へと。
小さく、小さく…。
「…あれ…?そうか。これが私でしたっけ」
遠くなる声。
「はは。最期に思い出せてよかった」
微かに笑って、声は消えました。
同時に気配も消えました。
私は、その存在が『死』を迎えたのだと知りました。
次の瞬間、周囲の光が急激に強さを増しました。
無駄と知りつつ、私は顔を背けました。
プリズマの姿も光の中に溶けています。
眩しさに耐えられず、私は固く目を閉じました。
そして、正面から。

「来たか、クラン」

ガルガンチュアの、声。


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