第76話:異形憧憬

つい、と袖を引かれて。私は振り返りました。
沢山の『私』。その中の一人が、私の袖を摘まんでいます。
この『私』は、随分と気弱そうな表情をしていました。
おどおどとした口調で、『気弱げな私』は言いました。
「こっちに来て」
「え?」
私が聞き返すと、『気弱げな私』は焦れたように、もう一度袖を引きました。
「来て。こっちから逃げれるから」
さささささあっ…
沢山の衣擦れの音。
彼方まで続く『私』の群れ。それが、一斉に脇に下がりました。
開かれる道。
全ての『私』が私をじっと見つめ、数人は手招きをしています。
「お前らっ!!」
爆発する怒声。
『憎悪する私』でした。
「ばかっ!間抜けっ!わかってるの!?
 こいつを逃がしたら、私達は二度とクランになれない!」
出刃で空を斬り、彼女は吠えました。
「ここで殺すの!今、ここで!」
必死な叫び。
誰も動きません。
『憎悪する私』は首を振って、髪を振り乱しながら叫びました。
「そうか!ああ!そうか!初めからそのつもりだったのね!
 『誰がクランでもいい』って、そういう意味なんだ!
 私じゃなくてもいいって!そいつでもいいって!そういうことだったんだ!
 もういい!誰の助けも借りるもんか!
 私だけで…」
その言葉が終わる前に、ぱっと3人の『私』が『憎悪する私』に飛びかかりました。
咄嗟に出刃を振り上げる、『憎悪する私』。
怒りの表情が一瞬曇って、凶器は頼りなく宙を彷徨いました。
その隙に、『憎悪する私』は羽交い絞めにされて両腕を押さえられてしまいました。
「ばかあっ!」
猛烈にもがきながら、『憎悪する私』は泣き叫びました。
「いやあっ!やだあ!こんなやつがクランだなんて!私はいやあっ!」
無我夢中に振り回される出刃。
「行こう」
静かに目を閉じたプリズマが、私に言いました。
「はやく」
『気弱げな私』が私の腕を取って引っ張ります。
私は動けませんでした。
「…わからない」
我知らず、そう呟いていました。
「このまま行ってしまっていいの?」
私は…私は彼女に…『憎悪する私』に恐怖を感じています。
こんなにも醜く暴れる姿に、嫌悪感も感じています。
彼女の存在を否定しています。
でも。
それと同じくらい強く、彼女に憧れている。
『憎悪する私』はエネルギーの塊です。憎み、殺し、先へ進もうとする。
強い意思の力。
それは私が持っていないもの。
どうしていいかわからず、私はプリズマの顔を見ました。
プリズマは私を見ていませんでした。
その目は閉じられたまま。でも、顔は『憎悪する私』に向けられていました。
「君なのか?それとも他の誰かなのか?
 どのクランが正しいのか、僕にはわからない」
ゆっくりと紡ぎ出される、彼の言葉。
「だから、どのクランも死ぬべきじゃない」
そう言って、プリズマは私の肩を軽く押しました。
同時に『気弱げな私』が、強く私の腕を引いて走り出しました。
引っ張られる形で、私もまた駆け出さずにはいられませんでした。
踵を返して私の後に続くプリズマ。
その口元から小さな囁きが漏れました。
気のせいだったのかもしれません。
「また会おう」
そんな風に聞こえました。
背後の絶叫。憎悪の声。
それが遠くなっていきます。
私達は廊下を駆けていました。
左右にずらりと並ぶ、扉。扉。
そして無数の『私』達。
その間を通り過ぎる私の耳へ、声が次々に飛び込んできました。
『私』は口々に言っていました。

「さよなら」
      「さよなら」
            「さよなら」
                  「さよなら」

寂しい目をした『私』が、別れを告げています。
陽気に手を振る『私』が、別れを告げています。
ふて腐れて唇を尖らせた『私』が、別れを告げています。
すすり泣いている『私』が、別れを告げています。
無限に続く、果てなき離別。
不意に、『気弱げな私』が立ち止まりました。
その背にぶつかりかけて、私もまた止まりました。
『気弱げな私』は、廊下の奥を向いたまま硬直しています。
「誰?」
彼女はそう言いました。
その瞬間、訪れる。劇的な変化。
沸き起こる輝き。
真っ白な光が、周囲に満ちてゆく。
「あっ…」
私は叫んで目を覆おうとしました。
でもそれより早く、『気弱げな私』が振り向いて私を見ました。
「さよなら」
彼女は儚げな笑顔でそう言って、かき消すようにいなくなりました。
彼女だけじゃありません。
全ての『私』が、いつの間にか姿を消していました。
いえ、消えたのは廊下そのもの。
私とプリズマを除く、全てのもの。
今、私達は真っ白な世界に立っていました。
「別の夢に…?」
私はプリズマに尋ねました。
プリズマは何も言わず、固い表情を正面に向けています。
彼の強く結ばれていた唇が開き、のろのろと声が漏れ出ました。
「何かいる」


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