第73話:降下
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幾つもの廊下、数え切れない数のランプ。
廊下は次々に枝分かれして、私達を迷宮の奥へ奥へと引きずり込んでゆきます。
もう何度目になるかもわからない角を曲がったところで、次の変化がやってきました。
唐突に終了した廊下。
そして、上り階段。
やはり木造のそれは、十数段ほど上で踊り場に突き当たり、
折り返した後、左上方へと伸びているようです。
私は少し躊躇いながら、階段に足をかけました。
プリズマは動きませんでした。
振り向いて見ると、彼は壁を見つめてじっと立ち尽くしていました。
「匂いがしない」
突然、彼はそう言いました。
プリズマが見つめているものは、壁に掛けられたランプのひとつでした。
「このランプ、一体何で燃えてるんだろう?油にしては匂いがない」
彼は伸び上がって鉄の檻を掴み、その中を覗き込みました。
オレンジ色の火が、抗うように揺らめきます。
「燃料がない」
プリズマはすぐに手を離しました。
「つまり、この夢を見ている『誰か』は、ランプの存在は知っていても、
 燃料を必要とすることまでは知らない」
奇妙な沈黙。
ぎし、と床板を軋ませて、プリズマは階段に足をかけました。
「ええと…。つまり…どういうこと?」
後に続きながら、私は問いを投げかけました。
何事か考えながら、ゆっくりと階段を上っていくプリズマ。
「わからない」
軋み声に混じる彼の返事は、短く素っ気無いものでした。
踊り場に到着した私は、別のことを口にしました。
「窓…。どうしてないんだろう」
「うん」
プリズマが頷いて応えました。
この建物に入ってから、私達は一度も窓を目にしていません。
ドアも廊下も、全て次の廊下へ到るためのもの。
「ここから誰も出したくないみたい」
言葉に出してから。私はいやなことを言ってしまったと思いました。
夢の中の巨大な密室。
私達は未来永劫、ここから出ることが出来ないのではないでしょうか。
「とにかく進もう」
プリズマは不安を振り払うように言って、次の階段に足をかけました。
上りきった所は、またしても左右に伸びる廊下でした。
「あれ?」
左手に目をやった私は、小さく声を上げました。
廊下は少し先で、一風変わった行き止まりになっていました。
露出した土くれが突き当たり一杯に広がっています。
壁際に立てかけられた大きなスコップ。
床に散乱する、沢山の釘と金槌。
無造作に積み重ねられた材木。
「地下なのかな」
のろのろとした、プリズマの声。
「もうひとつ、気づいたことがあるんだ」
彼はいつもの眠そうな顔に、僅かに疲れた表情を浮かべて言いました。
「ここの壁も、床も、何もかも。ひどく古くて、痛んだ木材でできてる。
 もう何十年も…いや、ひょっとすると、もっともっと昔からある屋敷なのかもしれない。
 この床のへこみは、大勢の人が歩き回った跡だよ」
プリズマは膝をついて、そっと床板に指を滑らせました。
「でも、埃が積もってないんだ」
彼の声は虚ろに響きました。自分でも、奇妙なことを言っていると思ったのでしょう。
「木目の隙間。床の隅。それだけじゃない。あらゆる場所に殆ど埃がないんだ。
 ここはきっと、建てられて間もないんだよ。
 …そこがわからない。
 この屋敷を作った誰かは、わざわざ古い木材を集めてきて、建物を作ったんだろうか。そして…」
プリズマの声は、突き当りの土面に吸い込まれました。
「今も工事は続いている」

がきん!

突然。何かが砕けるような、大きな音が聴こえました。
続いて、がちりがちり、と。巨大な歯車が噛み合わされるような音。
足元から襲い来る地鳴り。
寄り添った私達の前で、周囲の光景は変貌を開始していました。
まず、今昇ってきたばかりの階段が。ずるり、と滑り落ちました。
踊り場と共に、床が抜けたように沈み込んでゆきます。
そして、同じ速度で降下してくる天井。
次の異変は右手の廊下に訪れました。
彼方まで見えていたオレンジ色の灯。それが次々に消えてゆく…。
迫り来る闇。
崩壊は、一際激しい地鳴りの後に押し寄せてきました。
めきめきめきっ。
凄まじい力で押し縮められたように、廊下全体が歪みました。
床や天井の羽目板が砕け折れ、折り重なりながら圧搾されてゆきます。
明滅する明かり。舞い上がる粉塵。
破壊は廊下の彼方から私達の元へ、みるみる近づいてきました。
潰される…。
立ち尽くす私の手首をプリズマが勢いよく握りました。
「こっちだ」
ぐい、と力いっぱい腕を引かれ、私は横に倒れました。
降下する階段。その天井と、私達の立つ床の間に…僅かな隙間。
私とプリズマは、そこへするりと滑り込んだのでした。
私達を受け止める筈の階段は、かなり下方に沈んでいました。
どこかにつかまる余裕はありません。
1メートル以上の高さを落下して、ひどく腰を打ちつけながらも私は着地に成功しました。
小刻みな地鳴りが続いています。
でも、この地鳴りはさっきまでのものとは違い、階段が沈むために生じているようでした。
私達は四つん這いになって階段を下り、踊り場に移動しました。
階段の降下は止まりません。
上と下、両方の出口を。下階の廊下が下から上へ通り過ぎるのが見えました。
プリズマがランプを調べていた、あの場所でした。
しばらく板張りの壁が続いた後、また下方から別の廊下が姿を現して。
それもまた、上方へと消えてゆきました。
幾つもの廊下が下から上へと通り過ぎてゆくその光景を。
私達は床にへたり込んだまま、ぼうっと眺めていました。
「どうして逃げなかったんだい」
プリズマが私の方を見ずに尋ねました。
責めるとか、問い詰めるとか、そういった調子ではありません。
浮かんだ疑問を。ただ、口に出してみた…そんな風でした。
私は少し考えてから、短く返しました。
「わからない」
プリズマは何も言いません。
私は言葉を足さなければならないと思いました。
「たぶん、どうでもよかったから」
プリズマがどう思ったのかはわかりません。
彼は黙ったままでした。




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