第72話:怪屋
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私とプリズマ。二人分の吐息。
その音が、やけに大きく感じます。
しん、と静まり返ったこの場所。
ぎしりと軋む、床の音。板張りの黒ずんだ天井。
そして薄汚れた壁。
ぼろぼろに腐った壁紙の下に、掠れた木目が顔を覗かせています。

「古い家のようだけど」
プリズマは緩慢な動きで首を巡らせて、
「何か変わった感じがする」
と、囁くように言いました。
今、私達が居る場所は。
左右に伸びる廊下の只中でした。
壁の高い位置へ、等間隔に鋼の棒が打ち込まれています。
棒には鉄を編んだ檻が掲げられていました。
格子の中で燃える、オレンジ色の炎。
その煌きはプリズマの瞳に妖しく映り込んでいます。
…ランプ。
これと同じものを。私は語る町で見たことがありました。
夕暮れが近づくと、其処彼処の角や小路で点る、弱々しい、けれど暖かな光。
あれと同じです。
私は廊下の一方へ目を凝らしました。
廊下は遠くまでまっすぐに伸びていて、その先は闇に溶けています。
ランプは遠くまで規則正しく掲げられ、
その灯は手前のものほど大きく強く輝き、遠くのものほど小さく儚げに瞬いているのでした。
この廊下はどこまで続いているのでしょうか。
反対側も見やりましたが、そちらも果てしなく廊下が続くだけでした。
「ここに立ってても、先へは進めない」
呟きを残し、プリズマが歩き出しました。
廊下を右手へ進んでゆきます。
私は黙って彼に続きました。
今では私も彼の行動をよく理解することができました。
右へ進もうと、左へ進もうと、おそらく結局のところは同じなのです。
大事なのは目的の場所へ辿り着こうとする意思。
そして、前へ進むという行為。
それが目的地へ到る、唯一の道。
きっと、この世界では距離や方向といった概念はあまり意味を為さないのです。


どのくらいの時間、歩き続けたのでしょうか。
廊下は相変わらずまっすぐに伸びていて、灯は無限に続いていて。
私が疲れを感じ始めた頃、前触れなくプリズマが立ち止まりました。
「おかしいな」
彼の小さな呟き。
私は驚いてプリズマの顔を覗き込みました。
彼の声が、疑いようのない不安に彩られていたからです。
「こんなにもひとつの夢が続くなんて、初めてだ」
彼はそう言って、来た方向を振り返りました。
私も振り向き、「あっ」と声を上げました。
背後に廊下はありませんでした。
今歩いてきたばかりの空間は、どっしりとした壁に変わっていました。
壁の中央には薄汚れた木製のドア。
ここは廊下の突き当たり…行き止まりでした。
私達は知らず知らずのうちに、後ろ向きに歩いていたのでしょうか。
かちり…。ノブを回す音。
プリズマが躊躇無くドアを押し開いていました。
私達は吸い込まれるように、開かれたドアの向こうへ進みました。
…小さな囁き声が聴こえます。
それは炭の弾ける音。小さな暖炉で火が燃えています。
薄暗い部屋でした。
かすれ、色褪せた絨毯。小ぢんまりとしたソファ。
暖炉の側に本棚があって、幾冊かの本が並んでいます。
壁には煙色のタピストリーが掛けられていました。
以前に見たような、懐かしい匂いのする部屋…ここは…。
どことなく似ています。
マレリィの家。その居間に。
パラパラと、紙のめくれる音がしました。
見ると、プリズマが本棚から本を抜き取り、それを開いています。
「白紙だ」
素っ気無い調子で、彼はそう呟きました。
浮かない表情のまま、本を棚に戻します。
「どのページにも、何も書いてない」
私がその意味を尋ねる前に、プリズマは部屋の奥に歩を進めていました。
その場所に、もうひとつのドア。
マレリィの家と同じ間取りです。ドアの形もどことなく似ているような気がします。
ノブを回して、プリズマはドアの向こうに姿を消しました。
私も慌てて後を追います。
再び、廊下とランプが私達を迎えました。
マレリィの家の廊下とは違う。さっきまでいた廊下と同じものです。
廊下は前方と左右の三方向に分かれていました。
いずれも果てがなく、奥へ奥へと伸びています。
プリズマは戸惑いの表情を浮かべて、立ち尽くしています。
「なんだか迷路みたい」
私の声は、壁や床に虚しく吸い込まれました。




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