第71話:凍え朽ちるもの
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肌を刺す、痺れるほどの冷気の中。
ただただ広い、飲み込まれそうな星空の下。
薄青く光る大地。
氷の原。

黒々としたものが視界の一部を埋めていました。
横たわる黒影。巨大な。
星明かりによって、微かな蒼色の輪郭が描き出されています。
その体表に刻まれた生命の名残。体毛と思しきもの。
私の知識にはない生物。
いえ、生物「だった」もの。
それは死んでいました。
凍てついた体からは生命の息吹を感じず、
既にそれは岩や氷に近い存在に変わっていました。
「この夢は前にも見たな」
ぼそりとした呟きが傍らで零れました。
プリズマの口元から漏れ出る、真っ白な吐息。
それは彼の頬を滑ってから、空に流れて躯の横腹にぶつかり、細かく砕けました。
「誰の夢?」
「…さあ。前に来た時も、誰もいなかった」
私の問いに、彼はのんびりと答えました。
まるっきり興味がない様子です。
だから、彼がその先の言葉を続けたことが、私にはとても意外でした。
「ここは、語る街から700の夜を越えた北の凍土。
 日の沈まない日々と、星に照らされる日々が、
 ゆっくりとした時間の中で交互にやって来るんだ」
「行ったことのある場所なの?」
私は驚いて尋ねました。
「違うよ」
彼は首を横に振りました。
「カイルが教えてくれたんだ。
 彼はよく、僕の話を聞いてくれる」
ぴかり、と頭の中で何かが閃きました。
…プリズマが訪れる、無数の夢。
…カイルの書斎で見た、メモの森。
記憶を探し求めていた?どうやって?旅をして?
旅?どこを?
「カイルも、夢の中を旅してたの?私達のように」
考えを整理できないまま、私は疑問を口にしていました。
プリズマは少し驚いた顔をして、首を横に振りました。
「いや。でも、僕によく夢探しを頼むよ。
 古い記憶の夢や、遠い場所の夢。その時によって違う」
ふと顔を横に向けて、彼は眉をひそめました。
「…そう言えば、ここの話をした時、カイルの様子がいつもと違ってたっけ」
プリズマの視線の先。
巨大な躯が冷たい沈黙を守っています。
「この土地に生きる獣は、死んでも腐らない。
 凍りついたまま、ずうっと冷たい大地の上に横たわり続ける…。
 ここはとても寂しい世界だって、そう言ってた」
それを聞いて、私はひとつの感情を理解していました。
冷たく虚ろな永劫の生命。
この骸の悲しさが、カイルにはよくわかった筈。
長い不変の果てに失われる生の実感。
滅びを知らない生き物。
私は…

私は生きていると言えるのでしょうか?


がたんがたんがたん。
重いものが立て続けに倒れるような音。
同時に、目の前の躯が消えました。
いえ、星空も、凍土も。氷の世界全てが。
忽然と姿を消していました。
後退りした私の足元で、軋み声。
今、私の靴が踏みしめているもの。
それは冷たい大地ではなく、磨り削れた木の板でした。
鼻先に漂うカビ混じりの空気。
オレンジ色の明かりがプリズマの顔を照らしています。
私の背は固い壁を感じていました。
あまりにも唐突な変化。
「別の夢に移った」
プリズマの声が静かに響きました。


楽曲:Peter in Nightmare
sound avenue



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