第62話:焔天
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払われる闇。
光は上方から。
私は手を翳しながら空を仰ぎ、息を止めました。
まるで、天に花弁を撒いたよう。
雲という雲。空と言う空が。
輝ける、黄金色に。
空が燃える!
狂ったように燃えさかる金色のそれは、紛れもなく焔でした。
「お前のつまらん遊びに付き合うつもりはない。…幕を下ろさせてもらおう」
前方で、ガルガンチュアがそう言いました。
今や闇は完全に消え去り、陽光以上の明るさが周りを照らし出していました。
広場のあちこちで。手にした石を取り落とし、恐怖している人々。
その表情と色濃く地に落ちた影のひとつひとつがはっきりと見えます。
少し離れた場所には、モレクラールとマレリィの姿。
二人は一点を凝視していました。
その視線を追った私は、はっと身を固くしました。
ぺしゃんこに壊れた屋台と、仰向けに倒れたアプレアギーレン。
その上に、『彼女』の姿がありません。
不意に、光が強まりました。
空が真っ白に輝いて。
目を開けてられない…。
光の消失も、また突然でした。
恐る恐る目蓋を上げて、私は世界が元の姿を取り戻したことを知りました。
暖かな陽光。白い雲が。蒼い空が。
広く、大きく広がっていて。
祭りが始まった、その時に戻ったよう。
そして。
聴こえてくる音。
硬い靴底が石畳を打つ音。
私は音の方向に首を向けました。
広場の入り口。その向こう。
のんびりとした歩調で、誰かがやって来る。
広場へ入ってくる。
ぽかんと口を開けて、私はそれを見ていました。
小柄な身体と鴉色の髪。
唇の端に薄く哄いを乗せて。
『彼女』は私達の前に現れました。
「あーあ、つまんないの。何よ、今の」
不服そうな『彼女』の声。
ガルガンチュアが応えます。
「次幻華焔式。焦度を上げれば対象を空間的に『焼く』ことも可能だが、
 本来は対象までの距離を修正する直進透過性数式のひとつだ。
 多方向から照射することで、次幻座標の歪曲を正すことができる。
 非可視光に変換してはいるが、光は今もこの街全体を照らしている。
 第零格よ。この数式によって、お前の『分身』を無効化する」
「ふぅん。よく気づいたね」
「およそ不死身とは言え、肉体的苦痛を感じるならば。
 お前が何の防衛手段も持たずに、私のような危険因子と直接対峙を望むとは考えにくい。
 ならば、何故お前は三度まで私の前に無防備な姿を見せたのか?
 私の下僕がその謎を解き明かした」
闇色の声に、誇らしげな響きが混じりました。
「第零格よ。お前は光と重力を曲げて、自分の姿を別の場所へ投影している。
 そして、本体を同理論で遮蔽。分身の背後に隠していたのだ。
 感覚で言えば、蜃気楼に近い。
 しかし、驚くべきはその性質。分身は完全な有質量物体で、相互接触も可能だ。
 音声も自ら発する機能を持ち…呆れたことに体温まで有している。
 この世の物理法則を完全に無視した、次幻異常そのものだ。
 作ったのか? 引き出したのか? その判別に必要な情報は不足しているがな」
ガルガンチュアは、そこで声の調子を整えました。
「直に顔を合わせるのは初めてだな、第零格よ。
 この出会いが私にとって素晴らしいものであることを期待する」
朗々と。闇色の声が響きました。
『彼女』は感心したように闇の王を見つめていました。
「へえ。よくそんな難しい言葉を並べられるわね。『アリアドネ』のお陰?」
少しの沈黙。そして…
ゆっくりと、ガルガンチュアが応じました。
「やはり…全てを見ていたというわけだな。
 だが、お前の推測は少々的を外しているようだ。
 これは、『アリアドネ』の遺産ではない。
 大きな目で捉えるならば、そうと言えなくもないが。
 次幻華焔式…これまでのあらゆる時の上で、存在する使用者は僅かに3人。
 一人は私。数式と原理を理解し、正しく扱うことができる。
 もう一人はお前だ、第零格。
 …しかし、見かけを模倣しただけで、構造の理解には及んでいまい」
ガルガンチュアは再び言葉を切りました。
体を構成する深い闇。それが。
どくり、と膨れました。
暗黒の声が自信に満ちて続きます。
「そして、最後の一人はこの数式を生み出した者。
 忠実にして最強の下僕
 闇の先へ向かう者」
かっ、と吹き出る焔。
ガルガンチュアの体、その中から。
前方へ。黄金の火が吐き出される。
焔は粉微塵に砕けて消えました。
金色の飛沫が去った、その後に…。
「待たせたな。お前の出番だ」
ガルガンチュアの声を受けて。
すっくと立つ。
見覚えのある姿。
長い藤色の髪。表情の乏しい貌。
硝子玉のような、とても綺麗な瞳が。
陽光を受けて、きらりと輝きました。
「お任せ下さい」
その声。
それは、まぎれもなくパンタグリュエルでした。


BGM:強襲
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