第58話:生きる意味
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倒れ、地に伏した痩躯。
その頭部から抜け落ちる、凶器の緑光。
宙を飛んで、主の元へ還る。
呻き声と荒い息が、かすかに聞こえました
それは、生命の吐息。
モレクラールの。
血の気を失った手が。
傷一つない、自らの額に触れました。
瞳には、困惑の色。
「私の手で死を与えられる…それほどの価値がお前にあるのか?」
ガルガンチュアの嘲弄。
「今の一撃で、『2時間分の活動エネルギー』を奪った。
 当分そこで寝ていろ。
 そして、私の前では死すら許されないことを覚えておけ」
長く、細く伸びた緑光が。
広場中を駆けました。
まるで、見渡すような動き。
そこにいる全員に。触れて、調べるような。
闇色の不協和音が、朗々と響きます。
「お前達の命も奪いはしない。
 数少ない、私の家族だからな」
広がる。
混迷の、どよめき。
そこにいる全ての人が、目を限界まで見開いて。
ガルガンチュアの姿を見つめていました。
勿論、私も。
意味を理解できなくて。
でも、ガルガンチュアはそのことについて、それ以上は語りませんでした。
「殺しはしない。だが、お前達が希望を求めるあさましさから、
 クランを慰みものとすることも許さん。
 その娘に干渉すること。それを許された存在は、このガルガンチュアだけだ」
ぞわり、と。肥大化する黒い闇。
緑光を供に。私に向けて、にじり寄ってきます。
「何してる。さっさと逃げろ」
モレクラールの、掠れた声。
「街の外へ向けて走りなさい。儂ら全員が盾となってお前さんを守る」
耳元で囁く、『語る街』。
街の人が何人か。私の前に出て、ガルガンチュアの視線を遮りました。
「クラン、ひとつ教えてやろう」
ガルガンチュアが静かに言いました。
「お前が求める過去の記憶、それを私は知っている。
 お前が何者なのかを。私は知っているのだぞ
雷に撃たれたような衝撃が、私の体を貫きました。
私の、過去。
あの駅から旅立つ…それ以前の、私。
生まれた場所は? 家族は? 本当の名前は?
それを、なぜこの人が?
「クラン、お前に選ばせてやろう。
 ひとつは、この場から逃げ出し、何も知らぬまま生きる道。
 もうひとつは、最後に自分の正体を知り、満足の中で私に殺される道。
 好きな方を選ぶがいい」
ガルガンチュアの声に、からかうような調子はありませんでした。
心からそれを選ばせようとしているのが、私にはわかりました。
おそらく私が前者を選べば、このまま逃がしてくれるでしょう。
私はガルガンチュアの姿を二度と見ることなく、平穏に暮らすことができるでしょう。
…でも。
気がついた時には、私は人垣を押しのけ、ガルガンチュアを目指していました。
「クラン…!」
マレリィの声と、袖を引く細い指の感触。
その小さな力から、私のことを案ずる気持ちが伝わってきます。
それは、とても優しい心。
「私、逃げたくない」
私は振り向かず、それだけを言いました。
今の私には、何もありません。
何かを大切に思う心も。
誰かと親しくしたいという心も。
…でも、自分のことを知れば。
何かが変わるかもしれない。
変われるかもしれない。
白い指を引き剥がして。
マレリィに背を向けたまま。
私は、進み出ました。
前へ。
私の記憶がある場所へ。
「素晴らしい」
ガルガンチュアの、茫洋とした呟き。考えに耽るように。
「凡骨達の期待、希望も。全て置き去りにして。
 ただ、己の求める真実に向けて歩むか。
 幸福な死に向けて。
 そのエゴ。…お前の姿に、私は自らの心を見る。磨かれた鏡のように。
 …今、私はお前に愛しさすら覚えている」
その、ガルガンチュアの言葉を遮って。

ばさり。

大きな音。
鳥の、羽音。
黒い影を私に落とす。
見上げた私の瞳。そこに飛び込んでくる。
…空を舞う、三日月形のシルエット。
不意に失速して。
舞い降りてくる。
広場の入り口。ガルガンチュアの向こうに。
鴉。
大きな、とても大きな。
「やはり来たか」
ガルガンチュアの不協和音が、それを迎えました。
藍色の羽が、一度大きく広がって。
着地のショックを和らげました。
扇がれ、立ち昇る土煙。
朦々と。
煙が晴れた時、鴉の姿は消えていました。
そこにいたのは。

小柄な身体。
朗らかな笑顔。
鴉色の髪。

…『彼女』。




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