第40話:広場にて
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モレクラールという名のひと。
痩せた手足。黒い帽子の陰に、落ち窪んだ眼窩。
その姿はいつも、公園の片隅に。
そして、いつだって。小さな裁縫針を手の中デ遊ばセています。
「鉄は落ち着く。この硬さと痛みがリアルだ。
 …俺がここにいるのだと、感じさせてくれる。
 …今だけを考えさせてくれる」
彼はぶつぶつと呟いて。
熱心に針をいじり続けます。
昨日も。今日も。きっと、明日も。

『眠り男』プリズマ。
彼は眠りの妖精です。
その手が触れると、どんな人でも瞬く間に眠ってしまうのだそうです。
彼自身も、いつも眠そうにしています。
目を半ばまで閉じて、ゆらゆらと揺れながら歩クのです。
時々、その姿が。
すうっとスキトオッテ。
向こう側の景色が見えることがあります。
とテも不思議です。


今日は天気がいいので、広場のベンチに座っていました。
隣にはモレクラールとプリズマの姿。
ベンチは大きく長いので、同じベンチの上にありながらも、
私達の間には少しの距離がありました。
「…生まれた場所を知っているか?」
モレクラールが呟きました。
私に訊いたように思えたのデ、首を横に振りました。
「…家族の顔を覚えているか?」
…首を横に振りました。
「…自分が誰なのか考えたことはあるか?」
…首を横に。
少し黙って。
彼は、再び口を開きました。
「いつも、そうだ。
 俺達は自由で。どこへだっていける。
 だが、自分の真実に到達することは。決してない」
がりっ。と針を噛む音。
また少し、沈黙が流レテ。
「こんにちは」
通りかかった男のヒトが、立ち止まって私達に挨拶をしましタ。
口髭の紳士、ジョージ・グリーン。
「よい日差しですな。非常に晴れやかな気持ちになれる。
 例えるならば7桁を超える乱数同士の除算が、
 見事、整数の解を得たかの如く、ですな」
彼はそう言ッテ、満足気に口髭を撫でました。
「あなた、もう少しゆっくり歩いてくれないと。私、追いつけないわ」
ジョージの背に、少し咎めるような声が掛けられました。
優しい眼差しをした若い女のひとが、小走りデ近づいてきます。
それと共に、少し焦げたようなよい香りが私の鼻腔に飛び込んできました。
彼女は手提げカゴを持ってイて、そのフタの隙間から大きなパンが幾つも顔を覗カせています。
香りはそこから溢れたものでした。
ジョージは微笑ミながら振り返り、妻を迎えました。
「すまない、サラ。新しい友人に挨拶をしたかったのだよ。
 だが、もう行くとしよう。焼きたてのパンが悪くなってしまうからね」
私達に向けて優雅に一礼すると、彼は右肘を横に突き出し、そのまま掌を腰に当てました。
自然な動きでサラの左腕がそこに巻キつくと、そのまま二人は広場の向こうへ歩き出しました。
「いけない。私、あの人に挨拶していないわ」
遠ざかる二人の背中から声が聴こえテきます。
「機会はまたあるとも。
 彼女も私達と同じように、ここで長い時を過ごすことになるのだから」
「そうね。でもそれはいつまで続くのかしら」
「彼女か、それとも私達がこの街を去るまで」
「ああ、なんだか私、複雑な気持ちだわ。
 早くその日が来ればいいと心から願っているのに、
 一方では、みんながこの街で仲良く暮らしていければどんなに幸せかって、
 そんな風に考えてしまうの」
「それは違う、サラ。
 私達は自分自身のことはおろか、
 お互いが本当に夫婦なのかどうか、それすらもわかっていないじゃないか。
 私達が自身の記憶を取り戻したその時、
 かりそめの関係とまやかしの幸福は終わり、真実の日々が訪れるのだよ」
「私、それを受け入れるために、強くならなきゃいけないわ」
「なれるとも。…ああ、すっかり日が高くなってしまったね。
 アプレアギーレンめ、またヘソを曲げなければいいが」
「パンはまだ大丈夫かしら?」
「私達の歩く速さを分速50メートルとして計算済みだよ。
 到着時にパンの味を損なうことはあるまい」
「なら安心ね。きっと美味しいパンを食べて気持ちが落ち着く筈だもの」
「正確さを求めるなら、さらに今日の風と気温、湿度をも
 計算に入れなければならないね。その場合…」
二人の姿が広場から消え、その話し声も聴こえなクなりました。
「しばらく寝るよ」
欠伸をこらえながら言ったのはプリズマ。
「次はいつ?」
モレクラールが問います。
「さあ。明日か、十夜先か。千夜先か。
 気が向いたら起きるよ」
答えながら。プリズマの体が薄く、透明になってゆきます。
「今度こそ、ママの夢が見れるといいけど」
蜻蛉のような、彼のカラダ。陽光が綺麗に透過して。
どんどん薄く。淡く。
「いい夢を」
モレクラールの呟き。
消える間際。
プリズマは、にこりと笑いました。



BGM:猫のお昼ね
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