第29話:聖杯

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前方からやってくる、潮の匂い。
「見て、クラン。海よ」
マレリィが声を弾ませました。
それが見える場所に立った時、私はそこが鋭角な岬の先端であることを知りました。
膨大な量の水が眼下に広がっていました。
これが海。見るのは初めてです。
私達が『繋がりの街』を発ってから6日目の正午が来ようとしていました。
これといった危険もなく、旅は極めて順調に思えました。
カイルは色々なことに詳しく、水場の見つけ方や、野ウサギの捕まえ方、
食べられる果実や野草のことなど、旅をする上で必要な幾つかのことを私に教えてくれました。
「ここからなら、『聖杯』が見えるはずだよ。…ほら、あそこだ」
カイルがそう言って、遠くを指しました。
紺碧の海原。その上に。
広大な蒼空。その中に。
それは、とても大きな何か。
卵のように滑らかな表面。
下面に海を。
上面に空を映して。
雄大に浮かぶ、飛行物。
「見ててごらん。始まるよ」
カイルの言葉に。
盛り上がる海面。生まれる、巨大な水柱。
その中に、きらきらと輝く銀片。
陽光を浴びる鱗。無数の魚達。
とても大きな水槽。
その先端が『聖杯』に飲み込まれて。
そして、柱は消えました。
「魚を食べるの?」
マレリィの問い。カイルは答えずに。
黙って彼方を見ていました。
『聖杯』の水平面。
そこから、真っ白な霧が吐き出されました。
霧は微細な粒子となって海面に戻ってゆきます。
光を受けて。乱反射を繰り返して。
それは、結晶化した塩分。
幻想的な輝きの隙間には、魚達の姿が。
彼らもまた、海へ還る。
『聖杯』は不思議な生き物です。
「楽しんでる?」
朗らかな声が、私達を振り返らせました。
鴉色の髪が、風になびいて。
追いついたよ
にっこりと微笑む、その顔。

…『彼女』。


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